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VOL.122 あなたにとっての8月は?

このコラムが皆様の目に触れる頃には9月に入っているかと思いますが、8月と言う月は、どうしても70年ほど前を意識してしまう月なのです。

広島・長崎の原爆記念日。 新聞や雑誌で写真が大きく取り上げられていましたが、つらい光景ですね。
テレビでも引揚者の情報を写しながら、戦時中の歌をあれこれ流しておりました。

 
 

ロイドめがねに燕尾服、直立不動で歌う東海林太郎の「国境の町」から始まり、続いて「麦と兵隊」も・・・。
また、必ず登場するのが・・・「岸壁の母」。胸を打たれる切ない唄ですよね。

そして、終戦記念日・・・。
戦没者追悼式の時間になると、自然に、黙祷をする気持ちになります。

私にとっても、東京を離れた小学校低学年までの疎開地での生活、その断片的な思い出がいろいろと浮かんできます。

旧のお盆を迎え、少々離れた田舎にある母の実家のお墓参りに行くと、普段はあまり意識しない叔父達のことも・・・・・。
母の弟はシベリア抑留の経験者なのです。
復員後10年くらい経って、世の中も少々落ち着いてきたころ、叔父も家庭を持ち、私達の家の近くで暮らしていました。

その頃、私は演劇に興味があり、戯曲を書きたいとの願いも持っていたのです。
戦争の悲惨さを僅かに知っている年代として、ぜひ叔父達のシベリア抑留をテーマにした作品を作り上げたいと、叔父にあれこれと尋ねたのですが、話してくれませんでした。
収容所の中で監視人から「Die ! Die!」・・・と、いつも言われていたと、チラリと話題として出したことがあった位でしたでしょうか。
当時のことはあまり話したくなかったのであろうと、今になればよく理解できます。

ひと頃、友人達と「疎開を知らない子供時代、安保闘争を知らない学生時代を過ごした人とは、同じ机で向きあっての話は出来ないよねー。」などと冗談を言っていた頃がありましたが、冗談ではなく、もっともっと過酷な体験をした方々は大勢いらっしゃるのですよね。

そう、日航機が御巣鷹の尾根に墜落したのも8月でした。

そのようなあれこれに想いを運んでくれた8月なのでした。
(2019年9月6日)